文鮮明師 講演文

「神様の真の愛と天地人の関係の回復」

「神様の真の愛と天地人の関係の回復」

文鮮明師 講演文
"In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1

「神様の真の愛と天地人の関係の回復」

(03.02.06 「真の御父母様御聖誕記念式」のみ言)

 尊敬する前職、現職の国家元首、世界から集まってこられた宗教界、政界、学界の指導者、百八十九か国の代表、国内外の高名な各界の代表と平和大使、各宗親代表、そして紳士淑女の皆様!

 私の満八十三歳の誕生日と、韓鶴子総裁の還暦を祝賀するために集まってくださった皆様に、心から感謝を申し上げます。

 何よりもまず、この日まで私を守ってくださり、共にいてくださった神様に、このすべての栄光をお返しいたします。

 神様を抜きにしては説明することのできない私の生涯であるがゆえに、この意義深い場に感謝しながら、「神様の真の愛と天地人の関係の回復」という題目で、み言を分かち合おうと思います。

 歴史的に、人類は、神様や絶対者について多くのことを語ってきました。さまざまな賛美や頌歌をささげ、また、一方では、むやみに批評したりもしてきました。

 「神様はいない。」、「神様は死んだ。」と、極言を吐いたりもしました。それにもかかわらず、神様は、ただの一度も、“私は、ここに、このように生きている。”と、直接、現れはされませんでした。また、「科学と技術の発達が高度化すれば、神様を信じる人はいなくなるであろう。」と、予言した人も大勢いました。しかし、現代社会においても、信仰者は、依然として減っていません。

 神様は、生きていらっしゃる万有の根源者であられ、創造主であられ、人類の真の父母であられます。

 私が発表し、教えてきた神様は、漠然とした神様ではありません。いち早く、少年時代から人生と宇宙について苦悶してきた私は、十六歳(数え年)のときに神様を体感し、その時から今まで、生活の中で交感してきました。

 生死の境界線を行き来する、険しい私の生涯を支えてくれた原動力は、正に、生きていらっしゃる神様との約束と、絶対信仰でした。

 私は、霊界の隅々を渉猟し、そこにいる五大聖人、数多くの賢哲たちとすべて出会い、私の天的な使命に対して、彼らの公認を受けました。皆様! このように神様は厳存され、人類の真の父母であられるのです。

 神様は、私たちすべての生命の根源者であられ、すべての人が、因縁を結ぶべきおかたです。そして、私たちが訪ねて行く霊界も、すでに存在している世界であるということを、はっきりと知らなければなりません。霊界を疑ったり、漠然と神様を信じたりしてはいけないのです。

 私は、歴史に類例のない「神様会議」を数度にわたって主導してきました。各宗教団体の代表者と最高位の神学者、宗教学者が参席した一九八〇年代の三度の会議は、宗教界に大きな反響を巻き起こしました。

 これらの会議を通して、私が指導しようとした要旨は、第一に、各宗教は、それぞれの特殊性を持ちながらも、それよりもはるかに多くの底辺を共有しているということ、第二に、宗教人相互間の葛藤と不和は、信仰者たちの偏狭さが主原因であって、決して絶対者のみ旨ではないということ、第三に、神様は、信仰や意識よりも、愛の実践をより願っていらっしゃるおかたであられるという点です。

 このときに発表された論文と会議記録は、現在、各宗教団体の最高神学教育課程における教科書として活用されています。

 高く垣根を築いていた宗教団体間の対話、協力の気運が、このときから本格的に開かれ始めたのです。

 それ以降も、毎年、多くの予算を投入しながら、各種の宗教連合運動と超宗教平和運動を全世界的に展開してきました。

 昨年十二月二十六日から三日間、米国のワシントンDCにおいて、私は、別の次元の神様会議を開催しました。「神様と平和世界」を主題として、宗教指導者だけではなく、世界各地から、政界、学界、言論界、財界、文化芸術界、NGO(非政府組織)代表等、三百十二人が集まりました。

 神様は、信じる人だけの神様ではあられません。万民の神様であられます。また、今この時は、漠然とした神様ではなく、より明確な、威容と主管権を持って万民の前に立っていらっしゃる神様を悟らなければならない大転換期なのです。

 神様を無視しては、決して解決することができない、個人的、家庭的、国家的、世界的問題の渦の中に巻き込まれている現代人であるということを自覚する時です。

 この会議には、三百十二人の世界の指導者が集まり、第一に、真の父母であり、真の師であり、真の主人であられる神様と、実体の真の父母を、個人、家庭、国家、世界の縦的な絶対価値の軸として立てること、第二に、霊界において五大聖人と賢哲たちが、神様のみ旨完成のために決議し、一致団結して地上に協助していることに対して、私たちも歩調を合わせて協力すること、第三に、平和理想の実現のために、真の愛の実践運動や国連刷新運動等、真のご父母様が計画されることに積極的に参与し、教育し、推進すること等、これらの内容からなる決議宣布文を発表しました。

 宗教を信じるのは、本来の父親と本然の国を、再び捜し出すためです。「宗教」という言葉は、人間だけを中心とした言葉ではありません。神様を母体とした最高の教えが、宗教です。神様と関係を結び、神意に従って生きる方式を身につける過程があるのです。

 したがって、聖人は、天意に従わなければならず、天情を紹介しなければなりません。

 真の宗教は、神様について教えなければなりません。真の宗教は、漠然とした神様を紹介するのではなく、神様に対する認識をはっきりと強固に植えつけてあげることができなければならないのです。

 世の中と妥協する宗教は、高次的な宗教であると言うことはできません。そのような宗教は、結局は、衰退してしまうようになります。

 真の宗教は、人が神様を正しく求め、神人が一体を成す本然の世界に帰っていくことを教えなければなりません。宗教を信じるのは、罪のない世界、神様と本然の関係を結んだ理想世界を求めていくためです。神様が求めていらっしゃるのは、宗教界ではなく、理想世界です。

 宗教の目的は、宗教自体の価値を通した世界ではなく、神様の理想を通した世界です。ここにおいて問題となるのが、創造理想です。神様が創造なさったので、創造理想を究明するということは、とても重要なことなのです。

 神様のみ旨とは、何でしょうか? 創造理想を完成することです。それでは、神様がエデンの園で、人間始祖アダムとエバを通して成し遂げようとされた創造理想とは、どのようなものであったのでしょうか?

 真の愛の本体であられる神様は、愛のパートナーを必要として人間を創造されました。人間は、神様の真の愛の理想を成すために、神様の真の息子、娘として創られました。彼らは、真の男性、真の女性として成長し、真の夫婦を成して真の家庭をつくり、理想的な国と世界をつくり上げるのです。

 別の言い方をすれば、神様の真の愛を中心として、理想的な家庭、さらには理想的な世界を完成するのです。しかし、人間始祖の堕落によって、この創造理想は崩れてしまいました。

 したがって、宗教の目的とは、一人の真の人を取り戻すことであり、真の家庭と、真の国家と、真の世界を取り戻して、万民が平和に生きていくことです。

 これがまさしく、神様が地に対して摂理される目的なのです。宗教は、このように善の世界を追求してきました。しかし、その善の世界は、善の国が現れなければ成立しえません。

 善の国には善の民族が、また、善の民族には善の氏族が、そして善の氏族には善の家庭が、先に存在しなければなりません。そして、善の家庭を築こうとすれば、先に善の男性と善の女性がいなければならないのです。

 アダムの堕落以後、イエス様の時までの四千年間、イスラエルの歴史は、何を取り戻すための歴史であったのでしょか?

 外的には、世界を取り戻す歴史でしたが、内的には、真の息子であるアダム一人を取り戻す歴史だったのです。堕落によって、神様の愛を中心とした生命と血統を受け継いだ息子、娘がいないということが、神様の恨です。

 神様が、愛と生命と血統の主人として、再び創られ、この世の中に送られたおかたが、救世主です。それは、見る観点によって、救世主として、メシヤとして、再臨主として、あるいは真の父母として、それぞれ表現されます。

 この世のすべての人々を貧困と苦痛、戦争と罪悪から救ってくださるという点では救世主として、また、絶対者の救援のみ旨を中心として、すべての宗教人を生命の道に連結させる仲保(者)という点ではメシヤとして、また、第一イスラエル、第二イスラエルと続いてきた神様の主流復帰摂理の観点からは、再臨主と呼ばれてきました。救世主、メシヤ、再臨主、これらのすべては、主に救援と復帰過程に焦点を合わせた次元で呼ばれてきたものです。

 偽りの父母、偽りの先祖と因縁を結んで生まれ、罪悪と葛藤の中で生きてきた堕落人間は、堕落直前の段階にまで復帰されることのみによって、すべての所願を成し遂げることができるのではありません。

 神様のみ旨も、人間の本性の願いも、創造理想を完成した本然の理想的な人間となり、理想世界をつくり上げることです。それは、神様の愛の理想を完成した個人として生まれ変わった後、真の愛の夫婦を成して、真の父母になることです。

 それを成すために、神様の真の愛、真の生命、真の血統の“始源”である真の父母が、絶対的に要求されるのです。このように、神様の救援摂理完成のためには、一人の男性として現れる救世主、メシヤ、再臨主ではなく、神様の真の愛を完成し、その典型を成した真のご父母様をお迎えしなければならないのです。

 神様が、先に創られたアダムのあばら骨で、その永遠の相対であるエバを創られたように、神様の息子である復帰されたアダムが先に来て、エバを復帰し、再創造することによって、真の愛の理想を成し、真の父母の″位相″を完成しなければならないのです。

 人間の真の愛、真の生命の源流が、その中にあり、理想的な男性像、女性像の標本が、その中にあり、理想的な真の夫婦と真の父母の標本がすべて、真のご父母様の中にあるのです。

 人類の罪悪と苦難は、堕落した先祖の偽りの愛によって実を結んだ、偽りの父母、偽りの先祖に由来しています。

 したがって、堕落の因縁から解放され、理想を完成することは、来るべき真のご父母様を通してのみ可能なのです。人類の本心が、宗教を通して求めてきたものも、また、世界が待ち望んでいるものも、神様の愛の理想を完成する真の父母なのです。

 「宗教は、人間を改造するところである。」と言うことができます。堕落がなければ、宗教は必要ないのです。堕落によって、心と体が闘っている人間を、永遠に闘わない平和な存在に、また、神様の実体対象に改造しようとするのが、宗教です。

 すなわち、神様に似た本然の人格に変えるのです。私たちの心と体を見るとき、体は、悪神サタンの基地になっていて、良心は、神様の基地になっています。

 一般的に、体が心を引きずり回すのです。宗教は、心を引きずり回すこの体を打って、弱化させようとするものです。

 宗教の教えは、体が最も嫌うものを提示します。断食をしなさい、奉仕をしなさい、犠牲になりなさい、祭物になりなさいと言い、さらに、義のために苦行の道を歩み、生命をささげることまで要求するのです。

 聖書において、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」という逆説的な論理で教えているのも、肉身が要求するとおりに生きれば、死亡世界である地獄に行くのであり、肉身(の欲望)を殺して、良心の解放圏を持てば、永生の天国に行くということなのです。

 心と体が統一できずに闘う人は、統一された神様の愛の理想世界に適応することができません。一般的に、宗教を持つことによって、天国や極楽に行くといわれます。

 しかし、天国は、神様の真の愛を中心として、心と体が一つになった子女が入って行くようになっている所です。堕落した世界の愛は、主に自分自身を中心とした愛ですが、それは、心ではなく体に関係しています。

 堕落した体は、悪魔の舞踏場となっています。本心は、神様に代わる主体、すなわちプラスの位置にあるのですが、体は、もう一つのプラスとなって、本心を籠絡しているのです。これを正さなければなりません。

 この目的のために、神様がつくられた修理工場が、宗教です。そこは、心と体が永遠に一つになった人、完全な人格に正す修理工場なのです。一方で、宗教においては、休まずに祈祷し、精誠をささげることを教えています。悪魔は、体を横的な舞台として、二十四時間、休まずに活動しています。神様は、縦的な基準に立っていらっしゃるので、縦的な心を通してのみ役事されるのです。

 心が、横的な体の強い作用に引っ張られていかないようにするためには、心自体が、垂直の位置で精誠をささげることによって、神様から三倍、四倍もの力を受ける必要があります。

 このような精誠の生活を三年間から五年間、行うようになれば、心が、体の環境的、習慣的な影響力から自由になることができるのです。

 尊敬する指導者、そして紳士淑女の皆様!

 宗教生活は、してもよく、しなくてもよいという選択の問題ではありません。堕落人間は、サタンを中心とした偽りの愛と、偽りの父母の因縁から生まれてきたので、だれもが例外なく、修理工場である宗教を経て、必ず真のご父母様と出会い、真の愛と真の生命の因縁を結ばなければなりません。

 ここで、一つ重要な事実を知らなければなりません。修理工場に訪ねて行くのは、そこに永遠にとどまろうということではなく、再生して出て来るためであるという事実です。

 宗教生活は、堕落人間の必須課程ではありますが、宗教生活自体が、人生の根本的、総体的な目的ではないのです。人生の究極的な目的は、宗教生活を正しく履修し、模範生として卒業して、創造本然の人間として生活することです。

 堕落ゆえに生じた宗教ですが、その宗教の中に埋もれて生きることだけが、人生のすべてでしょうか? 堕落していなければ、本然の人間は、どのように生きていたのでしょうか?

 本来、人間は、神様の子女として、真の愛の理想のもとで真の家庭を成し、一つの世界を成して、自由と平和、統一と幸福の天国生活をするようになっていたのです。神様は、宗教を通じて修理され、再生された子女に出会うために、人間を創造されたのではありません。罪を悔い改めながら、葛藤の中で苦悩している子供を見ることを願う父母が、どこにいるでしょうか?

 まして、創造主であられ、全知全能であられる天のお父様が、ご自身の子女を、苦痛の中で罪を犯して生きるようにさせることが、本来のみ旨でしょうか?

 堕落世界は、神様が本来、計画されたみ旨ではありません。人間始祖が、神様に背くことによって、本然の構想が成し遂げられなくなったのです。

 絶対的な神様であられるので、そのみ旨とされたものも絶対的です。神様は、再び、そのみ旨を成されます。それは原状回復であり、それゆえに、神様の救援摂理は、復帰摂理であり、再創造摂理なのです。

 宗教は、復帰摂理のための器具です。人間は、真のご父母様と出会って、宗教生活の課程を履修するだけではなく、神様の子女となって、生活の中で、父子の因縁をもって、神様に侍って生きる生活信仰の世界に飛躍しなければなりません。

 長い歴史の中で、人間は、宗教生活を卒業しなければならないという、この貴い真理を明らかにした人は、いませんでした。早くから神様のみ旨を知った私は、教派や宗派を創設しませんでした。

 神様の摂理の中心宗教であるキリスト教が、私の教えである天道を受け入れなかったことによって、私が初めて創った組織が、「世界基督教統一神霊協会」でした。

 教派でも、宗派でもなく、協会でした。宗教界が継続して不信し、計略に陥れ、迫害しながら、無条件に異端であると規定し、無視したにもかかわらず、私たちの集いが大きくなっていったので、世の中が、私たちの長い公式名称に代わって「統一教会」と呼ぶことによって、「統一教会」になってしまったのです。

 しかし、私は数十年前から、私たちの教会の看板を下ろす日を望みながら、その事実を予告してきました。

 一九九六年に教会の看板を下ろし、「世界平和統一家庭連合」として出発しました。これは、人類史における重大事件です。

 偽りの父母から受け継いだ罪のくびきをかけ、苦難と葛藤の中で、悔い改めと祈祷の信仰生活を通してのみ神様を求めてきた人類が、真の父母から祝福を受けて重生し、真の愛の生活の中で、神様に報告して生きる世界に変わる、天地開闢が始まったのです。

 これまで、私が天命に従って、真の父母の使命を果たしながら、地上だけではなく、霊界の垣根も崩し、地上と天上に、祝福の恩賜を自由に下してあげるまでの過程は、だれも知ることができません。

 歴史の中で、偽りの主人としてふるまいながら、人間を管掌し、神様に逆らってきたサタンを屈服させることが、簡単なことでしょうか? サタンが公認しない立場では、真の父母の″位相″を立てることはできないのです。真の父母が管掌していくにつれて、サタン主管下の死亡圏にいる万人に祝福の特権が及び、霊界にいる霊たちや地上人が皆、真の愛の生命圏に転換される、そのような奇跡の時代が開かれたのです。

 満場の紳士淑女の皆様!

 今、正に訪れてきた天運とともに、人類は、宗教生活を履修し、真の愛の祝福を受けて、真の家庭を成しながら、神様の真の子女の″位相″をもって生活しなければなりません。

 地上で祝福を受け、このような真の愛の生活をした者だけが、永遠の本郷である天上の理想世界、すなわち神様の国に入って行くことができるのです。霊界に行くときに、何を持って行きますか? お金ですか? 権力ですか? 知識や名誉ですか?

 これらは、この世のものなので、超越した世界に行くときは、すべて捨てて行かなければなりません。これらは、永遠な本質の世界であるその世界では、何の役にも立たず、持って行くこともできないものです。

 霊界は、愛の世界であるがゆえに、地上で体恤した真の愛、特に天地父母から許諾された真の愛の生活内容が、最も貴く認定される世界です。どうぞ霊界を、より深く学び、祝福家庭生活を通して、真の愛を完成する神様の子女となってくださることをお願いいたします。

 私の教えは、人から学んだことを根拠とするものではありません。また、私は、一般の教訓的な次元の教育や慣例的な教育はしません。神様と天道に根源を置いた生命のみ言をもって、直説的に訓導しているのです。

 私の真の父母の使命が、神様の下さった使命であるとすれば、きょう、この時間、皆様が私と結ぶ関係が、とても意味深く、貴重な因縁になるということを知って、心の深い所に刻んでおかれればよいと思います。

 神様の祝福が、皆様と皆様の家庭、そして、皆様の公道の上に共にあることを祈りながら、み言を終えたいと思います。

 ありがとうございました。

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